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大阪高等裁判所 昭和57年(う)846号 判決

京都市職員

甲野一郎

京都市職員

乙原二郎

京都市職員

丙山三郎

京都市職員

丁岡四郎

無職

戊川五郎

右の者らに対する建造物侵入被告事件について、昭和五七年四月一四日京都地方裁判所が言渡した判決に対し、各被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

検察官 山路隆 出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐伯千仭、同崎間昌一郎、同小山千蔭、同深尾憲一、同塚本誠一連名作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官山路隆作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一について

論旨は、訴訟手続の法令違反を主張し、原判決は、証人古谷至誠及び同木上國雄の公判廷における各供述を原判示事実認定の証拠として引用しているが、被告人及び原審弁護人らは、証人古谷及び同木上に対する検察官の各主尋問終了後に、それぞれ具体的必要性と被告人の防禦にとって重要であることを示して、同証人らの司法警察員に対する各供述録取書面の開示を求めたのに、検察官がこれらを開示することを拒否したため、同証人らに対して十分な反対尋問をなすことができず、ひいては被告人らに、憲法三七条二項の「すべての証人に対して審問する機会が充分に与えられる」権利が保障されなかったことになるので、同証人らの公判廷における各供述は証拠能力が否定されるべきであるにもかかわらず、これらを有罪認定の証拠に引用した原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある、というのである。

そこで検討するのに、原裁判所が原判示事実を認定するにあたり、証人古谷至誠及び同木上國雄の公判廷における各供述をその資料に用いたことは、原判決書により明らかであり、また原審弁護人らが、同証人らの検察官の各主尋問終了の後に、それぞれ同証人らの司法警察員に対する各供述録取書面(以下警察調書という)の開示を求めたが、検察官は、いずれもその開示をしなかったことが原審記録により明らかである。ところで、検察官は、手持ち証拠のうち、証拠請求する意思のない証拠については、弁護人に開示する義務は原則としてなく(最決昭和三五年二月九日、刑事裁判集一三二号一八一頁、判例時報二一九号三四頁参照)、ただ、裁判所は、証拠調の段階に入った後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類及び内容、閲覧の時期、程度及び方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のために特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができ(最決昭和四四年四月二五日、刑集二三巻四号二四八頁参照)、検察官は、裁判所から右の命令が発せられた場合にはじめて、その証拠を弁護人に閲覧させる義務が生じるに過ぎない、と解すべきである。これを本件についてみると、原審弁護人は、前記のとおり両証人の各警察調書の開示を求めたが、原裁判所は、検察官に対し、証拠開示の命令を発していないことが原審記録により明らかであるから(原裁判所の右措置については、後記の弁護人らの反対尋問権行使に関する諸点にかんがみ、特に不当であったとは考えられない。)、検察官にこれらを弁護人に開示する義務は生じなかったものというべきである。もっとも、所論は、右各証拠が開示されなかったことにより、両証人に対する反対尋問権が十分に行使され得なかったと主張し、その理由として(一)各証人の公判廷の供述は、本件事件の日から、古谷証人については七か月から一年四か月、木上証人についても一年以上経過後のものであり、いずれの証人も各反対尋問の際、「記憶にありません。」を連発しているので、事件直後の原始供述ともいうべき各警察調書を見たうえで反対尋問をする必要があったこと、(二)いずれの証人についても、被告人らにとって重要な事項につき、公判廷の供述には現われているが、検察官調書に現われていないもの、逆に公判廷の供述には現われていないが、検察官調書に現われているものがあり、これらについて各警察調書を検討したうえで反対尋問をする必要があったことを挙げているが、(一)については、検察官は、右両証人の各主尋問前に既に原審弁護人に対し、古谷証人の昭和五四年五月八日付、同月一一日付、木上証人の同月七日付の検察官に対する各供述調書を開示していることが原審記録上明らかであり、右各調書は、その作成の日付からみて、本件事件から間もない記憶の新しい時期におけるものといえるので、これらの調書の記載内容によって、記憶があいまいになっている両証人の各公判廷の供述を弾劾ないし誘導することは十分にできるものと考えられ、(二)についても、公判廷の供述と検察官調書の記載内容との矛盾を追求することにより、両証人の各公判廷の供述を弾劾したり、誘導することは十分できると考えられ、さらに、原審弁護人らが現に行った詳細な反対尋問の経過、内容を検討しても、右両証人の警察調書が開示されなかったことにより、同人らに対する反対尋問が十分に行い得なかった状況があったとはうかがえないので、右所論は採用し難い。

そうすると、検察官が原審弁護人らに古谷、木上の各警察調書を閲覧させなかったことが特に不当とはいえず、また原審証人古谷、同木上の各公判廷の供述が証拠能力を欠くとも到底いえないのであって、これらを原判示の事実認定の資料に用いた原審の訴訟手続に所論のような法令違反があるとはいわれない。本論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

論旨は、事実誤認を主張し、要するに、原判決は、「被告人らは、いずれも京都市職員であって、さきに京都市長から無給休職処分に付された同市上京区役所勤務の被告人戊川五郎に対する右処分の撤回の上申を求めるための区長交渉を要求する目的で、池田正一ら四名の同市職員とともに昭和五四年四月二八日午前八時五〇分ころ同市上京区今出川通室町西入る堀出し町二八九番地所在の上京区役所三階区長室に立ち入ったものであるが、同区長古谷至誠から直ちに口頭により退去を要求され、更に、同区役所総務課庶務係長木上國雄から同日午前九時一二分ころより三回にわたり携帯マイクで退去を要求されたのにかかわらず、前記池田ら四名と共謀の上、右退去要求に応ぜず、同日午前九時五八分ころまでの間、前記区長室に滞留して退去しなかったものである。」との事実を認定しているが、右の事実認定並びに「滞留の態様」についての説示には次のような事実誤認がある。すなわち、

(一)  被告人らの属する処分反対実行委員会は、本件当日に先立つ同月四日、古谷上京区長宛に次の四点すなわち(1)処分反対実行委員会及び戊川への敵視、弾圧行動をやめること。(2)市役所職員の労働条件の問題について、これまでとられたことのない警察導入による職員の排除という手段をとった経過を明らかにし、自己批判をなし、今後は、警察権力の導入というかたくなな態度をとることなく交渉に応じること。(3)処分反対実行委員会及び戊川への一切の弾圧、追処分に加担しないこと。(4)処分問題、復職問題について、とりわけ無給休職処分問題についてすみやかに交渉し、市当局に具申又は、上申すべきことがあるか否かを明確にすることであり、これらの点につき、事実を調査し、疑問点があれば解明し、改善すべき点があれば、自らあるいは意見の伝達、具申の方法により改善すること。との趣旨の要求書を提出しており、本件当日、被告人らは、右の四点について古谷区長との交渉を求めて行動したものであるから、被告人らの目的を「戊川五郎に対する処分の撤回の上申を求めるため」とのみ認定し、他の目的を認定しなかった原判決には事実誤認がある。

(二)  古谷区長及び木上庶務係長は、なるほど形式的には原判示認定どおりの「退去要求」をしているが、木上庶務係長は、あらかじめ定められた「退去命令」を三回発するのみで、それ以外には、区長室への被告人らの最初の入室はもとより、その後の退入室に際しても口頭による制止も全くしておらず、区長によって招集された課長らも、被告人らに退去を促す所為を何らしておらず、「退去命令」後も、被告人らと平静に話し合っているような極めて平静な雰囲気であって、前記の退去要求は、実質的には単に団体交渉を拒否するという恣意的意思を表示したに過ぎないものというべきであるから、退去要求があったとの原判決の認定は、事実誤認である。

(三)  被告人らは、自己の意思に基づいて入退室を繰り返し、区長室にいた課長らと事態解決のための話し合いをしていたものであるから、個々の被告人の行為を特定することなく、違法な滞留を共謀したと認定した原判決には事実誤認がある。

(四)  原判決は、「争点についての判断」の「被告人らの行為の可罰的違法性」の項で「滞留の態様は必ずしも平穏裡とはいえない」と認定しているが、被告人らは、区長とのやりとりの中で若干緊迫状態を生じたことはあったものの、他に騒然となることもなく、全体として平穏裡の説得活動をしていたものであるから、原判決の右認定は事実誤認である。

そして、以上の各事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討するに、原審で取り調べた関係証拠を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、京都市職員として上京区役所納税課に勤務していた被告人戊川五郎は、昭和五三年三月二六日、千葉県下で行われたいわゆる三里塚闘争のデモに参加して逮捕され、引き続き勾留されたうえ、同年四月一六日東京地方裁判所に起訴された。京都市長は、同年五月一八日、同被告人に対し、地方公務員法に基づき起訴による休職処分(当時、同市の場合は無給)を発令した。京都市職員労働組合(以下「市職労」という。)上京支部青年婦人部常任委員会は被告人戊川の処分問題について市職労上京支部長に対して市職労として取組むよう求めたが、同支部長は、被告人戊川の三里塚闘争への参加は支部の機関決定によるものでないから右処分問題は同支部として取上げない旨回答し、市職労としての取組みを拒否したので、同支部青年婦人部長松本典道が代表となり、京都市職員の有志は、同年四月二一日、予想される被告人戊川に対する市の処分を不当とし、処分反対実行委員会(以下実行委員会という。)を結成し、当局への働きかけなど種々の活動を重ねるようになった。被告人戊川を除く被告人らは、いずれも京都市職員であり(但し、職場はいずれも上京区役所以外)、かつ実行委員会に参加して、被告人戊川を支援していた者である。上京区役所では、市長から被告人戊川に対し前記処分が発令されるまでは、佐藤二郎上京区役所助役らが、同年四月二七日と五月二日の二回、実行委員会の構成員らと事実上話し合う機会を持ったが、処分が発令された五月一八日以降は、古谷至誠区長が、同月一九日に実行委員会とは話し合いをしないとの明確な方針を打ち出し、これを助役以下幹部職員にも徹底させたことにより、実行委員会からの再三の交渉ないし話し合いの要求に対し、当局側はこれを拒み続けることになった。被告人戊川は、翌五四年三月七日に保釈され、同月一三日ころから上京区役所の職場に出勤して就労を求める闘争を開始するに至り、これを支援する実行委員会の活動も、古谷区長との交渉を求めて活発化し、これを拒否する上京区役所当局との間で緊張関係が続き、同月二七日には、実行委員会の者ら約二〇名が区長室に交渉を求めて立ち入り、区当局が中立売警察署に警察官の出動を求めるという事態もあった。実行委員会は、同年四月四日、古谷区長に対し、被告人戊川に対する市の休職処分の撤回の上申を求めることを含めた所論のような四項目の内容と同趣旨の要求書をまとめ、これを区当局に提出していたが、同月二四日の実行委員会の総会で、同月二八日の土曜日に、公休の者を中心として少人数で古谷区長に対し、右四項目の要求につき、交渉を求めに行く方針を決めた。そして、右方針に従い、本件当日である同月二八日午前八時三〇分ころ、被告人戊川を除いた被告人四名を含む総勢八名の実行委員会の者らは、烏丸今出川付近に集合した後、原判示の上京区役所を訪れ、当日も就労闘争を行っていた被告人戊川を呼びに行った被告人丁岡を除く七名が、午前八時五〇分ころ、被告人丙山を先頭にして「おはようございます。」とあいさつをしながら、順次区長室へ入室し、数分遅れて被告人丁岡と同戊川も同室に入室した。古谷区長は、区長室の窓際の机に向って執務していたが、被告人らの入室を知って、振り向き、「お前らとは話をせん。」と申し向け、被告人丙山がすぐさま「交渉に応じて下さい。」と問いかけた際、拒否の態度を示し、「すみやかに退去しなさい。」と言った。被告人ら九名は、区長の椅子の後ろを大きく取り囲むような形で立ち、被告人丙山が区長に前記四項目の要求を一つずつ説明し始めたが、区長は「お前らとは交渉しない。」「退去しなさい。」などと再三繰り返した。そのうち、被告人乙原が、椅子に座っていた古谷区長のそばに寄り「お前とはどういうことや。こっちはあいさつをしているのに、あいさつも返さへんということはどういうことや。」と大声で抗議するなどし、木上國雄庶務係長に制止されるという緊迫した場面があった。そのころ、連絡を受けて、同区役所の課長職の者らが五、六人区長室に入室して来たが、木上庶務係長は、午前九時一二分ころ、マイクで「区長室におられる皆さんに警告します。庁舎管理上支障をきたしますので、直ちに退去して下さい。」との旨を二回繰り返して退去要求を発した。しかし、その後も被告人らは区長室に滞留し、被告人甲野や同丁岡らが交渉の糸口をつかむべく区長に話しかけるなどしたが、区長はこれに応接することを拒み続けていた。そのころ、古谷区長は、「これから総務局あるいは民生局の方へ老人福祉センターのことで協議に行くんだ。」と告げ、椅子から立ち上り、二、三歩入口の方へ歩みかけたが、被告人丁岡ら三、四名の者が体を寄せるような形で、その退室を拒もうとしたので、区長はトラブルを避けるためやむなく退室をあきらめた。その後九時二五分ころ、木上庶務係長は、マイクで再度前同様の退去要求をし、「もし退去されない場合には必要な処置をとりますから、ご承知下さい。」との旨をつけ加えて警告した。それでもなお被告人らが区長室から退出しないので、古谷区長は、九時三〇分ころ、木上庶務係長に、警察官の出動を要請する趣旨で「必要な処置をとってくれ。」と指示したが、被告人丁岡ら二、三名の者が「必要な処置とは何や。」と木上庶務係長に詰め寄るなどのことがあった後、再度区長から同様の指示が出されるに及び、木上庶務係長は、以前、課長会で退去警告を発しても退去しない場合には、警察官の出動を要請する方針を決めていたことから、区長の指示はその趣旨のものと理解し、区長室を出て、九時四〇分ころ、別室から中立売警察署の警備課に事情を話し、警察官の出動を要請した。その間、被告人らは、区長に種々話しかけたり、課長らと個々に話し合ったりしていた。再び区長室に戻ってきた木上庶務係長は、九時四六分ころ、三回目の退去要求をマイクを用いて行った。その後も被告人らは前同様滞留を続けていたが、警察官が出動してきたことを察知し、九時五八分ころ、区長室からいっせいに退去したが、まもなく被告人甲野、同乙原を含む六名が庶務係の部屋を出た付近で警察官に逮捕されるに及んだ。被告人らが区長室に入室した後、何名かの者は、途中所用などで一時的に同室から出て行くことはあったが、いずれも間もなく再入室し、木上庶務係長の前記の退去要求を聞いていながら、これに従わず滞留を続けた。以上の事実が認められる。

まず、右(一)の論旨について検討するに、本件当日、被告人らが、古谷区長に対し交渉を求める目的が、論旨に掲げる四項目の内容と同趣旨であったことは前示認定のとおりであり、従って、原判決がこのうち一項目すなわち「被告人戊川に対する処分撤回の上申を求めるため」のみを認定している点は、やや正確さを欠くうらみのあることは否めない。しかしながら、実行委員会の結成の経緯やその後の活動にかんがみると、実行委員会の究極の目的の一つは、被告人戊川に対する休職処分を撤回させることにあったと認められ、この点から四項目の要求事項をみると、原判決の認定した目的が最も中心的眼目であり、その他はこれに付随した、あるいはこの問題から派生して来た要求項目と考えられるばかりでなく、他の三項目が付加されることにより被告人らの本件行為の正当性が高まるものとも考え難いので、原判決の認定には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとまではいえない。

次に、右(二)の論旨について検討するに、前示認定のとおり、古谷区長は、口頭及び態度でもって被告人らに退去を求め、また木上庶務係長は、三回にわたって明確な退去要求をマイクで発し、うち二回目の際には「退去しない場合には必要な処置をとる。」旨の警告をつけ加えているのであって、これらの退去要求が真意に出たものであることは明らかである。なるほど、被告人らのうち何人かが途中区長室を出て再度入室した際、課長らがこれを制止する行為に出たとか、課長らと個々に話し合いをしていた際、課長らがあからさまな退去要求をしたと認めるに足る証拠はないが、課長らがそのような態度に出なかったのは、被告人らが穏便に退去することを願い、不必要な摩擦を避けるためであったと考えられ、このことをもって、前示の退去要求が形式的なもので単に団体交渉を拒否するための恣意的意思を表明したに過ぎないとは認められない。原判決のこの点の認定に所論のような事実誤認はない。

次に、右(三)の論旨について検討するに、被告人らの区長室での滞留行為が違法なものと評価せざるを得ないことは後に詳しく説示するとおりであるが、前示に認定したとおりの被告人らが区長室へ入室した経緯及び状況、入室後の行動、特に何回かの明確な退去要求を聞いていながら、揃ってこれに従わなかった行動にかんがみると、被告人らが、本件の現場で違法な滞留行為を共謀して実行したと認めるに十分であり、所論のごとく、なるほど被告人らは個々課長らと話し合ったり、また何人かは一旦退室して再度入室するなどしているが、これら個々の行動があったことは、前記の認定に何ら妨げとなるものではない。原判決のこの点の認定に所論のような事実誤認はない。

更に、右(四)の論旨について検討するに、前示認定したとおり、被告人らは、再三退去を求められたにもかかわらず、これを聞き入れず、九名もの多人数で執ように区長室に滞留し続けたものであり、その間、被告人乙原が古谷区長に対し、その近くで前示のとおり大声を発して緊迫する場面があり、また区長が所用を告げ退室しようとした際、被告人丁岡らがこれを阻止したり、区長が「必要な処置をとってくれ。」と木上庶務係長に指示した際、同被告人らが、その意味を尋ねて同係長に詰め寄るなどの行為のあったことに徴すると、その滞留の態様が必ずしも平穏裡とはいえないことは明らかであり、原判決のこの点の認定に事実誤認があるとはいえない。以上のとおりであって、本論旨も理由がない。

控訴趣意第三について

論旨は、法令適用の誤りを主張し、要するに、被告人らは、古谷区長に対し、団体交渉を求めるために区長室に入ったところ、同区長が初めから話し合いを拒否して退去せよといい、また木上庶務係長が三回にわたって退去要求をしたという事実はあるけれども、被告人らは、交渉をかたくなに拒否する区長を説得し続けていたものであるから、その説得が続いている間は、正当な理由のある滞留であって、刑法一三〇条後段の「故なく退去せざる者」に該当しないというべきであり、少なくとも、被告人らの主観においては、正当な理由のある滞留と考えていたので、不退去罪の犯意を欠くことになるのに、原判決が被告人らの行為に刑法一三〇条後段を適用したのは、法令の適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討するに、刑法一三〇条後段の不退去罪の構成要件は「要求を受けてその場所より退去せざる者は………」と定められているとおりで、「故なく」の点は不退去罪の構成要件ではないけれども、「正当な理由」があって退去しないのは不退去罪とはならないから、右の「正当な理由」は違法性阻却事由であると解されるので、右所論前段の趣旨を、正当な理由のある滞留であるから、違法性阻却事由があるとの主張と解し、以下検討してみるに、さきに控訴趣意第二についての判断に際し説示し、更に後に控訴趣意第五についての判断に際し説示するとおり、なるほど被告人らが古谷区長及び木上庶務係長から退去の要求を受けた後も区長室に滞留をし続けた理由は、区長に対する説得のためであったといえるのであるが、区長は交渉に応ずる意思のないことを当初から明らかにしており、その態度にも相応の理由があったこと、にもかかわらず、被告人らは執ように説得を続け、途中何回も退去要求を受けたのに、これを無視して当初の退去要求後、退去に要すべき相当の時間が経過してから滞留すること約一時間にも及び、その間必ずしも平穏とはいえぬ言動を示した被告人もいたこと、被告人らの滞留行為によって区長の職務に少なからぬ支障があったと思われることなどの諸事情を勘案すると、控訴趣意第五についての判断に際し説示する被告人らがその行動に至った背景事情を十分考慮に入れても、法秩序全体の見地から許容されるべき正当な理由のある滞留行為であったとは認められない。また、後段の被告人らの主張においては正当な理由のある滞留と考えていたので不退去罪の犯意を欠くこととなるとの所論については、犯意の成立に違法の認識を必要としないから、被告人らに犯意がなかったとはいえない。

なお、所論は、刑法一〇七条の不解散罪の成立には三回以上の解散命令のあったことを必要としているので、本件不退去罪についてもこれと同様な精神で解釈されることが必要であるといい、当審における弁論においても、原判決が争点についての判断(一)で「木上庶務係長の三回目の退去要求の後も一〇分近く区長室に滞留していたことになり、退去に要する時間を考慮しても一〇分の滞留は長すぎる。」と説示している点をとらえて、原判決は不解散罪とのつり合いからみて、三回目の退去要求までの滞留を一応問題視していない点は正当である旨主張するが、不退去罪の構成要件には不解散罪のような三回以上の警告を受けたことはその要件とされておらず、当初の退去要求であっても、その要求を受けて正当な理由なくして滞留しておれば、その退去要求後退去に要すべき時間が経過すれば、その段階から不退去罪は成立するものであり、本件においては、後に控訴趣意第五についての判断に際し詳細に説示するとおり、被告人らは古谷区長から退去要求を受けた後、正当な理由なくして区長室に滞留していたことが認められるから、その退去要求を受けた後退去に要すべき時間が経過した段階から不退去罪の成立を免れないものであって、所論にいう原判決の説示もその前後の説示及び罪となるべき事実の摘示をもあわせてみれば、木上庶務係長の第三回目の退去要求までの滞留をもって正当な理由のある滞留と認めたものとは認められないから、右所論ないし主張は採用し難い。

以上のとおりであって、被告人らの所為は刑法一三〇条後段の不退去罪の成立を免れないから、これに同法条を適用した原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、本論旨も理由がない。

控訴趣意第四について

論旨は、事実誤認及び法令適用の誤りを主張し、要するに、実行委員会は、被告人戊川に対する休職処分という重大な勤務条件を左右する事項につき、これを阻止、撤回させることを目的としていたものであり、京都市職員だけで構成され、その人数は本件当時百数十名にも達し、規約を持ち、総会、代表機関、執行機関等を定めていた団体であるから、地方公務員法五二条一項の職員団体に該当し、ただ同法五三条に定める登録は受けていなかったが、非登録の職員団体といえども、当局に対し団体交渉権があり、当局は応諾義務があるものと解すべきであるところ、本件では、実行委員会に所属する被告人らが古谷区長に対し、前記四項目につき団体交渉を求めて交渉していたものであるから、当日の行為は具体的団体交渉権の範囲内の行動であり、区長はこれに応ずべき地位にあったので、区長らの退去要求そのものが団体交渉拒否という恣意的意思を示すものとして違法であり、被告人らに不退去罪は成立しない。しかるに、原判決は「処分反対実行委員会には当局と交渉する法律上の権能はない」と説示して被告人らの行為の違法性を根拠づけ、不退去罪を適用しているのであり、この点原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討するに、原審で取り調べた関係証拠によると、実行委員会は、京都市職員である被告人戊川に対する市当局の起訴休職処分に反対することを目的に掲げ、現にその発動阻止及び撤回を求めて活動してきた団体であり、その構成員も京都市役所に勤務する職員をもって構成し、総会や代表機関等をもつことを定めていることが認められるので、これらの点からみると、実行委員会は地方公務員法五二条一項の職員団体に該当するかのようであるが、他方、実行委員会は職員の勤務条件とは直接関係のない被告人戊川に対する不当起訴に反対するなどの目標をもあわせて掲げ、休職処分に反対することは当面の目標であることさえ明らかにしていること、その目的を戊川問題に限った一時的な団体であること、その構成員は他の労働組合である京都市職員労働組合の組合員を兼ねていることなど特殊性が認められ、なお厳密に言えば、起訴休職処分という京都市長の懲戒権の発動に反対するという目的が同法五二条一項の「職員の勤務条件の維持改善を図ることを目的とする」との要件に該当するかについても疑義が残るのであって、これらの点からすると、実行委員会は、被告人戊川の救援組織的色彩が強く、一般の労働組合とは、いささか様相を異にし、同法五二条一項の「職員団体」に該当するかどうか疑問の余地がないとはいえない。しかしながら、その点の認定をさて置き、一応、実行委員会が同法五二条一項の「職員団体」であることを前提として考えてみても、実行委員会は、地方公務員法五三条所定の登録の申請をしていないことが原審で取り調べた関係証拠上明らかであるから、実行委員会からの団体交渉の申込に対し、当局はこれに応諾する義務はないものというべきである。すなわち、地方公務員法五三条の登録制度は、その地方公共団体の人事委員会又は公平委員会が当該職員団体の結成及び運営が自主的、民主的に行われるなど一定の要件に適合していることを確認し、公証する制度であるところ、当局が職員団体からの交渉申込に対し、応諾義務があるのは、右の登録を受けた職員団体からの申込の場合であることは、同法五五条一項の条文上明確であり、同条項の反面解釈として登録を受けていない職員団体からの交渉申込に対しては、当局は応諾義務はないものと解さざるを得ない。このことは、同条項の立法趣旨が、地方公務員の職務が公共性を有することやその勤務条件の決定のされ方が民間労働者と異なることなどに由来する地方公共団体の労使関係の特殊性にかんがみ、登録制度を通じて地方公共団体の労使関係にふさわしい正常な交渉形態を確立しようとする点にあると考えられることからも裏づけられる。所論は、憲法二八条は、勤労者の団体交渉権を保障しているので、登録の有無という形式的な理由によって団体交渉権が左右される理由はないと主張しているが、地方公務員法五五条一項は、なるほど憲法二八条に由来し、勤労者たる地方公務員について団体交渉権という憲法上の労働基本権を保障しようとする趣旨と解されるが、ただその団体交渉の方法について、登録制度を介在させ、登録を受けた職員団体に対しては当局側に団体交渉応諾義務を認め、その反面非登録の職員団体に対しては当局側に応諾義務までは認めないとしたもので、団体交渉権の行使に関し、一定の制約が課せられることは否めないものの、前記の地方公務員の労使関係の特殊性にかんがみると、国民共同の利益の観点からやむを得ない最小限度の合理的制約と考えられ、地方公務員法五五条一項を前記のように解したからといって、憲法二八条に抵触するとは考えられない。所論はまた、ILO結社の自由委員会の一九六五年一一月二七日のドライヤー報告が登録と非登録による団体交渉権の差別解釈を批判していることを挙げ、その解釈論の根拠としているが、右のドライヤー報告は国際法上の法的効力を有するものではなく、ましてや国内法の解釈に直接影響を及ぼすものとはいえないので、右所論も採用しがたい。もっとも登録を受けていない職員団体といえども、当局と交渉する能力を否定されるものでないことは、地方公務員法五五条二項以下の交渉手続に関する規定が非登録職員団体を除外していない規定上からも明らかであって、同条一項の規定も当局が非登録団体からの交渉申込に対しこれに応ずることを禁じる趣旨ではないと解され、むしろ、一般論から言えば、可能な限り、交渉に応ずることが望ましいとまではいい得るのであるが、究極のところ、当局が非登録の職員団体からの交渉の申込に対し、これに応じるかどうかは、義務の問題ではなく、裁量に属する問題といわざるを得ない。原審で取り調べた関係証拠によれば、京都市においても、市職員労働組合が取り上げない個々の職員の勤務条件に関する問題につき、職員の有志と当局との間で交渉ないし話し合いが行われてきた多数の前例があることが認められるところ、これらの前例においては、当局側は裁量により交渉ないし話し合いに応じてきたものと考えられ、そのように考えて十分説明がつき、それ以上の意味を見出し難い。

以上のとおりであって、実行委員会の交渉申込に対し、古谷区長の側に応諾義務があることを前提とした本論旨は、前提を欠くこととなり、理由がない。

控訴趣意第五について

論旨は、法令適用の誤りを主張し、要するに、被告人らは、本件当日、上京区長に対し団体交渉を求めるため、区長室に滞留したものであるところ、その態様も平穏であり、時間も退去命令発令後五〇分程度であったことのほか、本件に至るまでの上京区役所当局に交渉に一切応じようとしない不当な態度のあったことなどを総合すれば、被告人らの行為は、いまだ刑法上処罰すべきほどの違法性を備えるに至っていないにもかかわらず、原判決が刑法一三〇条後段の不退去罪を適用したのは、法令の適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討するに、前記に認定したとおり、被告人らは九名もの多数で上京区長室に入室した後、「交渉に応じない。」と明言している古谷区長に対し、執ように交渉を求め、同区長の口頭による、また木上庶務係長のマイクによる三回の退去要求を無視し続けて、同区長の退去要求を受けてから約一時間同室に滞留したものであり、その間被告人らは前示のとおり必ずしも平穏とは言えぬ言動を示したこともあり、被告人らの行為によって区長の職務に少なからぬ支障があったことがうかがわれることなど、その滞留の人数、時間、態様、影響などの諸点に加え、刑法一三〇条後段の不退去罪が三年以下の懲役刑から一万円以下の罰金刑までをも含む可罰範囲の広い犯罪形態であることに徴すると、その目的が団体交渉を求めるというそれ自体違法とはいえぬ目的のためであり、現に一部平穏さを欠く言動はあったものの、全体としては比較的穏かに交渉を求めて区長らに話しかけをしていたものであることのほか、後記の背景事情のうち被告人らのために酌むべきものなどを考慮に入れても、その行為が刑法一三〇条後段に該当する実質的違法性を備えていたことは明らかであり、到底可罰的違法性がないとは考えられない。

所論は、上京区当局は、助役交渉の形で当初二回実行委員会と交渉を持っていたが、第三回目の交渉約束を破り、以後一切交渉を持とうとせず、局面打開への試みを一切せず、誠実さに欠ける対応をしてきたものであり、本件当日も、被告人らが直ちに団体交渉ができなくても、人数、場所等を協議して別の日に交渉してもよい旨述べているにもかかわらず、区長は、終始団体交渉全面拒否という極めて不当な態度を崩さず、これがため、被告人らの滞留時間が長びいてしまったことなどの背景事情を主張している。なるほど、原審で取り調べた関係証拠によれば、昭和五三年五月一八日、被告人戊川に対する起訴休職処分が発令される前、上京区役所の佐藤助役が同年四月二七日と五月二日の二回、事実上実行委員会と話し合いをしたが、右処分発令後は、古谷区長の明確な指示により右の話し合いを拒否するに至ったものであるところ、五月二日の話し合いの終りころ、実行委員会の参加者の中から、次は五月一〇日ころもう一度話し合いを持ってほしいとの希望が出され、これに対し佐藤助役は明確に肯定的な回答はしなかったものの、参加者に期待を抱かせるような態度を示したことが認められ、これを三度目の話し合いの約束と受けとった実行委員会がその後話し合いを一切拒否する助役らの態度を不満としたことは理解できないではない。しかしながら、原審で取り調べた関係証拠によれば、佐藤助役は同年六月一〇日ころ、実行委員会の有力メンバーである被告人丙山、同甲野及び木村幹雄の三名と非公式な形で上京区役所近くの「レストランながの」で会い、「個人的には話し合ってもいいと考えているが、職員局の方で会うことを止められている」旨の弁明を行い、これに対し、右三名は、その話に納得せず、これ以上非公式に会い、話し合っても仕方がないと判断し、その話し合いを打ち切り、その後は、実行委員会は、被告人戊川が保釈された翌年三月ころまでの間、月一回程度上京区役所の庁舎前で門前集会を重ねたり、実行委員会の代表世話人である松井典道と被告人丙山が昭和五三年七月一〇日被告人戊川の代理人となって、京都市人事委員会に休職処分に関する不服を申立てるなどしたが、上京区当局に対し、交渉を求める目立った動きはなかったことが認められる。以上のような経過にかんがみると、佐藤助役との交渉問題は、六月一〇日の非公式な接触と弁明により、実行委員会内部に不満を残しながらも、ひとまず決着がついていたと考えられる。次に古谷区長が、昭和五三年五月一九日に実行委員会との話し合いをしないとの明確な方針を打ち出し、これを部下に徹底させ、以後区長はもとより助役らにおいても実行委員会からの話し合いの申込を拒否し続けた態度について検討してみると、実行委員会を職員団体と認めるとしても、その交渉申込に対し、これに応諾するかどうかは当局の裁量に属する問題であることは前記のとおりであるところ、(一)原審で取り調べた関係証拠によれば、被告人戊川の休職処分は、任命権者である京都市長の権限に属し、市職員局が所管する事項であり、京都市の一出先機関である上京区長には何らの権限のない事柄であることが認められ、ましてや既に出された処分について、その撤回を求めて、上申することは、職務上ほとんど困難であったと考えられること、(二)古谷区長は、原審公判廷では、証人として、右の決断はどこからも指示を受けず、自らの判断でした旨を供述しているが、むしろ、前記認定の昭和五三年六月一〇日ころ、佐藤助役が被告人丙山らと会った際の弁明に明らかなように、戊川問題については、職員局から実行委員会とは話し合いをしないようにとの指示が出されていた疑いは濃厚であり、上京区長として、その意向に反する行動はとり得なかったと考えられること、(三)原審で取り調べた関係証拠によれば、被告人戊川に対する休職処分についての救済は、別途人事委員会への不服申立という法的手段のあることが認められ、現に前示のとおり被告人丙山らは、同戊川の代理人となって昭和五三年七月一〇日京都市人事委員会に不服申立をしていること、(四)原審で取り調べた関係証拠によれば、実行委員会には、上京区役所以外の他の職場の市職員がかなり多数参加して構成されていることがうかがわれ、そのような団体と上京区長が交渉ないし話し合いをすることが適切かどうか疑問のあること、などの諸点にかんがみると、部下であったとはいえ、すでに処分が発令されたことにより上京区長の手に負えない問題となった被告人戊川の休職処分に関し、古谷区長が実行委員会と交渉ないし話し合いを一切拒否したこともあながち非難できず、その決断が区長としての裁量の範囲を著しく逸脱した不当なものであったとは考えられない。さらに古谷区長の右態度を被告人戊川が保釈された昭和五四年三月以降の新たな状況に即して考えてみると、原審で取り調べた関係証拠によれば、被告人戊川は、いわゆる就労闘争を開始し、上京区役所の職場に就労を求めて立ち入り、事務机を持ち込むなど休職処分に服従しないとの公然たる態度を示し、これを実行委員会があからさまに支持応援するとの態度をとり、かかる中で再び古谷区長に交渉を求める動きが活発化するに至ったことが認められるところ、休職処分に対する法的不服申立手続のほかに右のような実力的な反対行動をとる被告人戊川の態度は市職員として許されるものではなく、これを積極的に支援する実行委員会の態度行動に対し、古谷区長が話し合いを持つ前提たる信頼を喪失していたことは優に推認でき、実行委員会からのこの間の再三の交渉要求に対し、古谷区長がこれを全面的に拒絶し続けたことも理解でき、その態度を、局面打開へ一切の努力もせず誠実さに欠ける対応をして来たと一方的に非難することはできない。本件当日の古谷区長の態度についてみても、なるほど、実行委員会の交渉の要求の中には、被告人戊川に対する休職処分の撤回上申のほかに、三月以降派生してきた前記のような三項目の事項が含まれており、また原審で取り調べた関係証拠によれば、被告人丙山が古谷区長に対し、日を改め、人数をしぼる用意があることも提案している事実が認められることなどを考慮に入れても、戊川問題につき基本的見解を異にする実行委員会との間で実りある話し合いを期待することは極めて困難であったと考えられ、その交渉申し入れを拒絶し続けた古谷区長の態度を一方的に不当と評価することはできない。以上のとおりであって、古谷区長をはじめ上京区役所当局の態度は、原判決がその量刑事情の中で指摘しているように、局面打開への今一歩の試みをする余地が全くなかったとは言い切れないとしても、全体としてみれば、一方的非難を甘受しなければならないほどのものではなかったと認められ、被告人らの本件当日の行動の違法性を著しく減じるに足るものとは考えられない。

してみると、被告人らの行為に可罰的違法性があるとして刑法一三〇条後段を適用した原判決は正当であって、原判決には所論のような法令適用の誤りはないから、本論旨も理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 加藤光康 裁判官 伊東武是)

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